重力、なぜあるのか 3

地球の表面にいつも立っていて、重力の支配下にあるので、いつもはまったく重力など気にしない、まるで空気の存在をあまり意識しないのと同じなのですが・・・


たとえば重さというものを計った時、重いものをもった時、階段を登る時、あなたは重さを感ずる筈。


その時、たしかに重力を意識したのです。


もう少し感じたければ、縄とびでも走り高とびでもいい、地面から離れてジャンプしてみればいい、ボールでも石でも上の方へほうり投げてみるといいでしょう。


ジャンプしてもすぐ地面に戻ってしまう、いくらカをいれてほうり投げても、ボールはある高さまで達すると戻ってきてしまいます。


・・・考えてみると、スポーツの大部分は、重力にさからったり、重力を利用したり、しかし結局のところは、重力の支配下で走ったり跳んだり投げたりしているのです。


あなたの体重が60キログラムとします。


あなたはそれだけのカで、地球の中心に引きつけられています。


地球の表面から離れてどこへも飛んでゆかないのは、60キロ分の重力のおかげと思えばよいでしょう。


・・・それからもう一つ、不思議に思うことは、あなたの体にも、重力が存在しているという事実です。


重力、なぜあるのか 2

リンゴ伝説なんて、真実かどうかもわからないのですから、リンゴの葉を取ってきたって、悪い頭が良くなる筈はないんだけど・・・


余談はさておいて、重力の話です。


ニュートンのリンゴが有名になったのは、彼の論文の中に、空に浮んでいる月も、木から落ちるリンゴの果実も同じように地球の中心に引きつけられている、といった一節があるからだそうで、それなら話はわかります。


・・・つまり、リンゴは必ず下に落ちていきます。


なぜ宙に浮んだり、上に落ちないで、下に向ってゆくのか、しかし、月は空に浮んでいる、同じような丸い玉ころなのに、なぜ状態が異るのか・・・


ニュートンは考えに考えぬいて、とうとう重力に思いいたったのでしょう。


では、もう一歩考えて、じゃ、重力とはどういう力なのか、なぜ重力がつくられるのか。


これは実にむつかしい問題なのです。


深く考えてゆくと、大宇宙を支配する根本原理みたいなところまで突きあたってしまいます。


・・・そこまでゆくと、私にもよくわからないので、まずは身近かなところから考えてみましょう。


私たちが重力を感ずるのは、どんな時でしょうか。

重力、なぜあるのか

つくづくニュートンという方が偉いと思うのは、この世の中に「万有引力」という、不思議な力が存在することを考えついたからです。


ニュートンは、この力をリンゴが木から落ちるのを見て、こつ然とさとったという伝説があります。


これは多分作り話であろうというのですが、ニュートンが住んでいた家の庭に、たしかにリンゴの木はあって、今でも大切に保存されているそうです。


・・・といってもニュートンは、300年も晋の人ですから、リンゴの木も何回か枯れて、3代目か4代目になっているそうで、その枝を一本、さし木にして日本にも貰ってきて、東京都内の某所に植えてあり、ちゃんと育っているという話をききました。


(ノーベル賞の故朝永振一郎先生がおっしゃったのですから、ウソではありません)


・・・なぜ、はっきり場所を明かさないかというと、学生や受験生がやってきて、ニュートンのリンゴの木を折ってもって行ってしまうというわけです。


なんでもニュートンにあやかろうと、リンゴの葉を煎じて飲んでしまうんだそうです。


(朝永先生は飲んだでしょうか?)


・・・こうしてニュートンのリンゴの木は、たちまち丸坊主にされてしまう危険があるからです。

現代の農産物貿易 5

次に穀物の総消費量は61年の8.3億トンから88年の16.6億トンへとほぼ2倍の増加をみせています。


こうした穀物消費の増加を規定したのは、①世界の人口増と、②1人当り穀物消費の増加という二つの要因です。


このように世界の穀物消費は外延的拡大と内包的発展という二つの要因の合成のなかで、増大を続けているのです。


以上の需給の適合度を示すのが期末在庫率です。


一般に世界における穀物の適正在庫率は18%前後といわれています。


これを基準にみると、国際的穀物需給はほぼ10年をタームに、過剰と不足をくり返していることがわかります。


まず60年代には期末在庫率はほぼ22~3%ラインにあり過剰基調で推移していました。


それが70年代に入ると15~6%の水準に低下し不足基調が恒常化するし、とくに穀物危機が騒がれた73年には15.1%という戦後の最低水準を記録しています。


80年代に入ると再び過剰基調に転じ、期末在庫率はほとんどコンスタントに20%をオーバーしていますし、とくに86年には27.6%という戦後の最高水準にまではね上っています。


・・・このように、世界の穀物需給は長期的にみてかなり不安定な変動をくり返しているのです。


なお、以上は経済学でいう自然の需給でないことに注意しておきましょう。

現代の農産物貿易 4

世界における穀物の需給動向を概観したものを見るとわかりやすいです。


まず穀物の総生産量は1961年の8.1億トンから88年の15.4億トンへとこの間に約2倍の増大をみせています。


他方、その収穫総面積は同じ期間中に6.4億ヘクタールから6.9億ヘクタールへと、僅か1割強の増加でしかありません。


そのことは、第二次大戦後における世界の穀物生産の増加がもっぱら単位当り収量の増加という形でなされたことを示しています。


戦後、世界の各国は農地の整備、品種改良、農業機械化、肥料・農薬の増投などの形で一定の農地により集約的な資本投下を行なうことで、農業総生産を拡大していったのです。


・・・それは農業技術のいわば内包的発展といっていいでしょう。


事実、世界の平均単収は61年のヘクタール当り1.27トンから88年の2.23トンへと8割近くも増加しています。

相手との関係性を

それも、受信者と発信者とのリズムにより最終的に決定されるもので、一定のルールはない。

私の場合、手紙の最初の二、三通は、giveとgetは抑え、格調を高める。

それもコレポンを続けていくうちに、obtain(recieve)informationから、get informationに変わっていく。

相手の手紙にもgive とgetが増えてくれば、もう親しい仲だとみてよい。

He's getting old.という代わりに、He is becoming more advanced in age.という気取った英文を書いているようでは、相手側も、いつまでたっても胸襟を開いてくれないものだ。

かくれん棒のような素晴しい商品に英文を添える場合には注したい。

●文章は肯定止めせよ!
He was not very often on time.よりも、He usually came late.のほうがいいということだ。

これに関しては、イギリス人から異論があろう。

イギリス人は、アメリカ人のように、She's ugly.とは言わず、She's not the most beautiful woman you know.と控え目に言うだろう。

現代の農産物貿易 3

中間に、各国がさまざまなニュアンスをもって位置しています。


要するに、農業の国際分業とは単純に自然的条件のみによって規定されるものでもなければ、また経済的条件のみによって規定されるものでもありません。


両者の総合のなかで決定されるのであり、それゆえにまた工業に比べて安定的・固定的性格を帯びることになるのです。


すべての先進国農業は競争原理を強めていけばアメリカのような輸出産業に転化しうるとする「農業先進国型産業論」は、以上を理解しえない暴論にすぎないのです。


国際穀物市場の構造と運動農産物は、1.穀物、2.熱帯産品、3.高付加価値農産物(畜産、青果、加工食品)のそれぞれによって、貿易の態様が異なっています。


ごく大まかにいって・・・


1.穀物は輸出比率=中位、輸出方向=北→南


2.熱帯産品は輸出比率=高位、輸出方向=南→北


3.高付加価値農産物は輸出比率=低位、輸出方向=北→北


・・・という特徴を示しています。


これらのうち量的にもっとも大きく、質的にみてももっとも重要な意味をもっているのはいうまでもなく、1.穀物ですから、以下これについて立ち入ってみていくことにしましょう。

現代の農産物貿易 2

南北問題がらみの食料i援助、東西問題がらみの二国間商品協定などがこれに属します。


いずれにせよ、現代の農産物貿易にはつねに政治の影が強くつきまとっており、それがまた農産物貿易全体の動向に複雑な影響をおよぼしているのです。


第四に、農業における国際分業のあり方についてです。


現代の農業国際分業は基本的には次の二つの条件によって規定されています。


その一は、それそれの国の自然的・風土的条件であり、国土面積・豊度・土地制度・気象条件などの面で、どれだけ有利な条件を備えているか、また逆にどれだけ不利な条件にあるかということです。


その二は、社会的・経済的条件であり、経済の発展段階、農業政策のあり方、農業技術利用の可能性などの点で、どれだけ有利か否かということです。


これら二つの条件の組み合わせいかんによって、農産物の輸出国と輸入国とがおのずから分化してきているのです。


一方の極には、たとえばアメリカのように、両者ともきわめて有利な条件をもつ輸出国があり、他方の極にはアフリカのように両者ともきわめて不利な条件におかれている輸入国があります。

現代の農産物貿易

通俗的な国際分業論が想定するのは北の工業特化、南の農業特化という国際分業ですが、事実はそれとはまったく逆です。


そして、農産物貿易における政治依存性の強さという点もあります。


現代の農産物貿易は単純な市場メカニズムによって動いているわけではありません。


それは直接・間接に政治・政策に支えられている部分がきわめて大きいのです。


政治輸出ないし政策輸出と呼ばれるものがそれであり、この点は工業製品の貿易と比べた場合の農産物貿易の大きな違いです。


こうした農産物輸出における政治との関連は、大きくいって次の二つの形で生じます。


その一は、国内農業政策の延長線上にあるケースです。


国内での価格支持の強化が過剰を生み、これを海外へのダンピング輸出に向けるというケースです。


その二は、一定の政治的意図の下に農産物輸出を位置づけ、これを国際政治の手段として利用しようとするケースです。

中世の旅とこころ 3

白河院以降の四代にわたるいわゆる院政時代の約100年間には97回の熊野詣御幸があったとのことですが、他に旅らしいものが乏しいのに比べてその多いことは驚異的です。


近いところでは京都周辺の百塔巡礼や南都七大寺巡礼なども盛んに行なわれていますが、いずれにしても、旅といえば公的な必要以外には寺社参詣がほとんどであり、その階層も貴族中心でした。


平安末期になって、武士階級もようやく加わってゆくのが中世における私的な旅の実体でした。


『新古今和歌集』のなかには、熊野詣と詞書のある作品として、


咲きにほふ花のけしきを見るからに神の心ぞ空に知らる玉 (1906)


立ちのぼる塩屋の煙浦風になびくを神の心ともがな (1909)


・・・等々がありますが、都の日常生活とは異なった風物と神とを結びつけて歌っているのです。


「神の心ともがな」とは、神もわたしの心のままになびいて欲しいという願望をあらおす表現ですが、道中の人々はこの作品が披露されたとき、多くの共感を寄せたのでしょう。


これは「白河院、くまのにまうでたまへりけるに、御ともの人々、しほ屋の王子にて歌よみ侍りけるに」と詞書のあるものであり、塊屋王子というところで歌会が開かれていることが察せられるのです。


塩焼く煙をはるかに望みながら、貴族たちはどんな思いを神に寄せたのでしょう。


時代の移り変ってゆく気配に心はおののきながら、ひたすらに神に祈ることで救いを求めたのでしょうか。