中世の旅とこころ 3
白河院以降の四代にわたるいわゆる院政時代の約100年間には97回の熊野詣御幸があったとのことですが、他に旅らしいものが乏しいのに比べてその多いことは驚異的です。
近いところでは京都周辺の百塔巡礼や南都七大寺巡礼なども盛んに行なわれていますが、いずれにしても、旅といえば公的な必要以外には寺社参詣がほとんどであり、その階層も貴族中心でした。
平安末期になって、武士階級もようやく加わってゆくのが中世における私的な旅の実体でした。
『新古今和歌集』のなかには、熊野詣と詞書のある作品として、
咲きにほふ花のけしきを見るからに神の心ぞ空に知らる玉 (1906)
立ちのぼる塩屋の煙浦風になびくを神の心ともがな (1909)
・・・等々がありますが、都の日常生活とは異なった風物と神とを結びつけて歌っているのです。
「神の心ともがな」とは、神もわたしの心のままになびいて欲しいという願望をあらおす表現ですが、道中の人々はこの作品が披露されたとき、多くの共感を寄せたのでしょう。
これは「白河院、くまのにまうでたまへりけるに、御ともの人々、しほ屋の王子にて歌よみ侍りけるに」と詞書のあるものであり、塊屋王子というところで歌会が開かれていることが察せられるのです。
塩焼く煙をはるかに望みながら、貴族たちはどんな思いを神に寄せたのでしょう。
時代の移り変ってゆく気配に心はおののきながら、ひたすらに神に祈ることで救いを求めたのでしょうか。